戦後70年に際し、先の大戦を様々に回顧する必要がある。
中でも、昭和天皇が開戦当初より、
昭和44年9月8日、那須御用邸での記者会見において、
「陛下、
これに対し、
「若い頃、
考えていたので、
これを裏付ける同時代史料がある。
例えば、
日本軍が破竹の快進撃を続けていた、
そこには、
天皇は木戸にこうおっしゃったという。
「
こととは思うが、人類平和の為にも徒(いたずら)
戦争の長びきて惨害の拡大し行くは好ましからず。
又(また)
勿論(もちろん)此(この)問題は相手のあることでもあり、
見極める要もあるべく、且(かつ)又、
其(そ)
それ等(ら)
実に周到綿密なご配慮の上で、
しかも明確に終戦への「
指示されていた。
日本軍の攻撃により、
更に遡って同年、年頭の歌会始めでは、
こんな御製(ぎょせい)
「峯つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」
(連なり続いた峰々に、群がり集まった雲が、
ので、早く風が吹いて、
ひたすら祈っている)
従来、この御製は米英撃滅を祈った御歌と理解されることが、
多かった。
だが、上述の経緯に照らして再考すれば、そうではあるまい。
これも又、終戦を願われた御製であったと拝すのが正しいだろう。
昭和天皇は早くから一心に終戦、
しかし一旦、火蓋が切られた戦争が、
その歴史から、
今上陛下は今年の年頭、
「
考えていくことが、今、
と切言されている。
このお言葉に込められている切迫感の意味を、