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高森明勅
2015.8.6 11:25

開戦時から終戦を考えておられた昭和天皇

戦後70年に際し、先の大戦を様々に回顧する必要がある。

中でも、昭和天皇が開戦当初より、いかに戦争を終わらせるべきか、
早くも模索しておられた事実を見逃してはならない。

昭和44年9月8日、那須御用邸での記者会見において、
記者からこんな質問があった。

「陛下、この戦争はやめなければならないと、
決断された時期はいつ頃ですか」と。

これに対し、昭和天皇は以下のようにお答えになっている。

「若い頃、ヨーロッパを見て、戦争はするもんじゃないと
考えていたので、開戦の時からいつやめるか、いつやめるかと、
やめる時期をいつも考えていました」と。

これを裏付ける同時代史料がある。

例えば、開戦から僅か2ヶ月程で、
日本軍が破竹の快進撃を続けていた、
昭和17年2月12日の内大臣、木戸幸一の日記。

そこには、昭和天皇の終戦へのご意志が明記されていた。

天皇は木戸にこうおっしゃったという。

戦争の終結につきては機会を失せざる様充分考慮し居(お)
こととは思うが、人類平和の為にも徒(いたずら)
戦争の長びきて惨害の拡大し行くは好ましからず。

又(また)長引けば自然 軍の素質も悪くなることでもあり、
勿論(もちろん)此(この)問題は相手のあることでもあり、
今後の米英の出方にもよるべく、又独ソの間の今後の推移を
見極める要もあるべく、且(かつ)又、
南方の資源獲得処理についても中途にして能(よ)く
其(そ)の成果を挙げ得ない様でも困るが、
それ等(ら)を充分考慮して遺漏のない対策を講ずる様にせよ」と。

実に周到綿密なご配慮の上で、
しかも明確に終戦への「遺漏のない対策」を検討すべく、
指示されていた。

日本軍の攻撃により、
イギリスのアジア支配の最大の拠点だったシンガポールが陥落する
(2月15日)のが目の前に迫った時点での、ご発言である。

更に遡って同年、年頭の歌会始めでは、
こんな御製(ぎょせい)を詠んでおられる。

「峯つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり」

(連なり続いた峰々に、群がり集まった雲が、厚く暗く覆っている
ので、早く風が吹いて、その厚い雲を払い除けて欲しいと、
ひたすら祈っている)

従来、この御製は米英撃滅を祈った御歌と理解されることが、
多かった。

だが、上述の経緯に照らして再考すれば、そうではあるまい。

これも又、終戦を願われた御製であったと拝すのが正しいだろう。

昭和天皇は早くから一心に終戦、平和回復を願っておられた。

しかし一旦、火蓋が切られた戦争が、
容易く終結を迎えることはなかった。

その歴史から、現代の日本人は何を学ぶべきか。

今上陛下は今年の年頭、終戦70年という節目の年に当たり、

この戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を
考えていくことが、今、
極めて大切なことだと思っています」
と切言されている。

このお言葉に込められている切迫感の意味を、
私どもは見逃してはならない。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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